いつも旬な男の物語(198)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 72」〜

 

  その日のうちにうどん屋に電話をしたら、すぐに面接をするので来て欲しいと言われ、

  俺たちはうどん屋のある場所に向かった。

 

  そこは観光名所でもあり、高級飲み屋が軒を連ねている場所に位置していた。

 

  大通りに面し、店の前にはバス停があり、人通りも多かった。

 

  目の前には有名な神社があり、大晦日になると辺り一帯は歩行者天国になる所だった。

 

  うどん屋の入っている建物は大きな劇場になっていて、映画上映・踊り・演劇などが

  行われる施設だった。

 

  うどん屋はそのビルの1階の一角にあり、地階には高級ナイトクラブがあり、2階には

  ディスコがあった。

 

 

  場所はわかりやすい所にあったので、引き戸を開けて中に入った。

 

  店長は27歳で髪を七三に分けた好青年という感じの人だった。

 

  チャキチャキの東京弁っぽい喋り方だったので、東京出身かと思ったが違った。

 

  大学が東京だったのと、性格がハキハキとしていたのでそう感じただけだった。

 

  仕事内容・労働時間・バイト料など色々な話をして、即採用となった。

 

  

  すぐにでも来て欲しいということだったので、佐兼と俺はその日の10時から勤務する

  ことになった.....

 

   

 

 

 いつも旬な男の物語(197)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 71」〜

 

  結局のところ、第一・第二志望の大学に受からなかったのは、自分の実力の無さが原

  因だった。

 

  過去問が早くから発売されているので、それに沿った勉強をする時間は十分にあった

  はずなのに、それができていなかったのは自分の不手際だった。

 

 

  これは俺にとって大きな教訓となった。

 

 

  両親の前では第三希望の大学(文学部英文科)に入学することを伝えたが、俺の中で

  は第一志望の大学に行きたいという思いがまだ残っていた。

 

  だから、アルバイトでお金を貯めて、来年の受験費用を稼ぐことにした。

 

  入試を終えた俺は高校時代の友人である佐兼と連絡を取り合い、アルバイトニュース

  ですぐにでもできそうなバイトを探した。

 

 

  幸運なことに新装開店のうどん屋のバイトを見つけた。

 

  時間が夜の10時から朝の5時ごろまでの深夜勤務で、時給は¥580だった。

 

  深夜勤務だったのと、深夜の割には時給が安いというのが引っかかった。

 

  まあ、高2の時のバイト代は時給が¥380だったから、それに比べたらそこそこいいか

  と、単純に考えて時給については納得した。

 

  深夜勤務については、春休みだったので翌日の授業はなかったので難なくクリアした

  のだった.....

 

 

       

 いつも旬な男の物語(196)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 70」〜

 

  予備校時代で心配だったのは、志望校に受かるかどうかという一点に尽きた。

 

  三浪めは特にそれが強かった。

 

  それを払拭するには勉強しかなかった。

 

  不安が頭に浮かばないぐらいに勉強するだけだった。

     

 

  模擬テストでは志望校の合格率が80%を越えてA判定を取っても、それは模擬テスト

  形式での合格率だった。

 

  志望校の問題形式でのそれではなかったので、その合格率は正確なものではなかった。

 

  そのことはわかっていたが、まだ時間的に余裕がある時は少し有頂天になり、もう受

  かったも同然のように思ってもいた。

 

  しかし、過去問を解いていく中で、合格最低点を取るにはまだまだ知識不足のところ

  があるのが判明してきた。

 

 

  受験科目が少ないとはいえ、国立は難度の高い問題が出るのでじっくり考えながら問

  題を解く形式だった。

 

  私立は大量の問題数をいかに制限時間内に解くかという問題形式だった。

 

  そして、どちらにも対応できる必要があった。

 

 

  じっくり型と即答型という相反する形式の両方に十分に対応できるだけの力があるか

  どうかが勝敗の分かれ目だった。

 

  結局はこの対応能力が不十分なままで受験をすることになった.....

 

 

     

    

 いつも旬な男の物語(195)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 69」〜

 

  両親に結果を報告した時、おやじは俺の表情が曇っているのを見て取り即座に言った。

 

  「もう、受かった大学のどこかへ行け」と。

 

  「わかった」と俺は力無く言い、文学部の英文科に進学することに決めた。

 

 

  宅浪と予備校時代に学んだことも大きかった。

 

  

  宅浪中は学生でも社会人でもないという全くの宙ぶらりん状態で、自分は何者なのか

  というアイデンティティの位置付けに悩んだ。

 

  また、日中行動の柱というものがなく、毎日を自由気ままに過ごせるという中で、生

  活のリズムをどうして整えるかについても悩んだ。

 

  しかし、その悩みも図書館で受験勉強をしたり、友だちと喫茶店で喋ったり街をぶら

  ついたり、本屋で立ち読みしたり、気に入った店で衣服を買ったりして紛らわせてい

  た。

 

  何かに悩んだ時は、別の何かで気を紛らわすことで束の間の解消にはなるということ

  を宅浪で学んだ。

 

 

  予備校時代は、生活のリズムは学校の授業を柱に据えることができたので、心配はな

  かった。

 

  心配があるとすれば.....

 

 

    

 

  

 いつも旬な男の物語(194)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 68」〜

 

  試験を終えた結果は英語についてはそこそこできたが、世界史はうろ覚えの語句を使

  いながら何とか文章にしたという感じだった。

 

  文字数はクリアーできたが、論理的だったかはわからない。

 

  

  3浪での受験が全て終わった結果は、3勝2敗だった。

 

  関西での私立大学は全て合格した。

 

  関東の大学は2校とも落ちた。

 

 

  不合格の原因は何となく俺にもわかっていた。

 

  2校とも受験後に大方予想はついていた。

 

  しかし、ひょっとしてという可能性に一縷の望みを託していた。

 

 

  関西の私大は合格発表は見にいったかどうかは覚えていないが、関東の2大学は足を運

  んで確認した。

 

  薄々感じてはいたことだが、実際に自分の受験番号がないのを目の当たりにするとシ

  ョックは隠せなかった。

 

  どうしようもない絶望感が俺を襲い、帰り道の足取りも重かった。

 

 

  現役から3浪までの4年間で受かったのは最後の年の3校だけだった。

 

  本命なら最高に嬉しかったが、そうではなかったのでこの結果はこたえた。 

 

  

  さて、関西の大学に通うのか、それとも東京へ出てきて新聞配達をしながら再度受験

  するのか少し考えた結果.....

 

     

 

 

 

 

  

 

 

 

    

 いつも旬な男の物語(193)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 67」〜

 

  そろそろ残り時間が半分ぐらいかなと思って腕時計にチラッと目をやった。

 

  すると、残り時間はあとわずかだった!

 

  完全に時間を読み違えていた。

 

  あと半分あると思っていた時間は10分ほどだった。

 

  まだ手をつけていない問題は半分近くあった。

 

 

  焦っても仕方がないことだが、兎に角空欄を埋めることだけを考えてサッサっとスキ

  ャンするが如くに問題を解いていった。

 

  残り2〜3分になったら、もう当てずっぽうで書いた答えもあった。

 

  もちろん見直しをする時間なんてなかった。

 

 

  もう、初っ端の英語で躓いた。

 

  一縷の望みを託しながら国語・世界史を受けたが英語の時間配分のミスで結果につい

  てはあまり期待していなかった...

 

 

  そして、いよいよ本命の国立大学受験の日がやってきた。

 

  春と言ってもまだ三月の上旬だったので寒さは厳しかった。

 

  受験生は誰もがコートを着て会場にやってきていた。

 

  大学に足を入れると「ここが本命だ!」と自分の中で呟きながら受験教室へと向かっ

  た。

 

 

  英語と世界史が受験科目だったが、世界史の勉強が最後までやりきれていなかった。

 

  よくわかっているところが出ればなんとかなるとは思いながらの本番だった.....

  

 

  

 

 

       

 

 いつも旬な男の物語(192)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 66」〜

 

  今、思い出した!

 

  滑り止めにもう一校関西の私立(商学部)を受けた。

 

  あまり関心のない学部だったが、私立の日程の都合上といろんな学部を受けてみるの

  も面白いという理由で受けた。

 

  ということで大学は全部で5校受けた。  

 

  

  第三・第四・第五志望校については、過去問を全くやらなかった。

 

  問題集すら買わず、見ずだった。

 

  滑り止めだから100%受かると思っていた。

 

 

  さあ、共通一次も終わり、次は私立の入試がやってきた。

 

  最初は関西の三大学があった。

 

  商学部・文学部・法学部の順番だったと思うが、ぶっつけ本番で全てに臨んだ。

 

  手応えは十分あり、80%はできたという感触だった。

 

  

  次に東京の私大(外国語学部)の受験があった。

 

  本命の次の志望校だったので、受験会場では緊張し過ぎないように深呼吸したり周り

  をゆっくり見渡したりして平静を保つようにしていた。

 

  英語の問題が配られると、過去問題集と違って大きさが倍ぐらいあり字も大きいので

  問題の数がより多く感じた。

 

  さっと問題に目を通してから、簡単そうなものから解いていった。

 

  少し時間がかかりそうな問題は飛ばしていた。

 

  なにぶん問題数が多く、長文を読んで解く問題もあったので時間との闘いだった.....