いつも旬な男の物語(205)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 79」〜

 

  生まれて初めてのアルバイトが高2の冬で、2番目が「おかめん」だった。

 

  「おかめん」では佐兼と俺がバイト一期生で、俺が初代のバイト長になった。

 

  そういう意味では「おかめん」も生まれて初めての貴重な経験をさせてもらった。

 

 

  そこで出会った人たちからは多くのことを学んだ。

 

  まず店長からは...27歳という若さだったが、人を雇うに当たっては上司と部下の関係を

  決して崩さず、且つ年上の人にはそれなりの敬意を持って接すると言うことを学んだ。

 

  

  調理長からは...最高齢の社員さんで、「おかめん」では親父みたいな存在に思え、俺が

  味わったことがないような経験談などを聞き、社会の仕組みの一端を学んだ。

 

  

  料理屋の板場上りの社員さんからは...老舗料理店での修行の話など、まずこれからも知

  ることがないだろうという貴重な話が聞けた。

 

  また、彼が料理屋時代から使っている大切な包丁を使わせてもらい、包丁の持つ美しさ

  と危うさの両面を体感した。

 

  経験談を聞くだけでなく、実際に職人さんにとって本当に大切な物に直接触れること

  で生の実感として、その物の持つ雰囲気が味わえたのは大きな財産となった.....

 

 

         

  

 

 

 

 いつも旬な男の物語(204)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 78」〜

 

  夏休みは長期の休暇を利用して、泊まり込みのアルバイトをすることに決めたので、

  「おかめん」のバイトは辞めることにした。

 

  事前に店長に伝え、残念がっていたが俺の気持ちも強く、確定もしているので最後は

  快く了承してくれた。

 

 

  俺が生まれて初めてアルバイトをしたのは高2の冬休みだった。

 

  大手スーパーの1階食品売り場だった。

 

  時給は¥350で1日8時間働いた。

 

  高校生で仕事の経験をしたのは俺にとって大きな財産となった。

 

 

  自分でお金を稼ぐことでわかったお金の有り難味。

 

  仕事を任されることによる責任感と喜び。

 

  お客さんとのやり取りの楽しさ。

 

  バイト仲間や従業員さんとのおしゃべりを通じて得られる知識と刺激。

 

  そして、何よりも毎日当たり前のように暮らしている日常生活は父がお金を稼いでき

  てくれているから成り立っているということ。

 

  そのお金で日々の生活を母が滞りなくやってくれているということ。

 

 

  簡単に言えば、両親への感謝の気持ち・お金の価値・働くことの喜びと楽しさが身を

  もってわかった。

 

 

  大学生になって「おかめん」でバイトした時は、翌年の受験費用を稼ぐというのが大

  きな目的だったので、高校生の時のような気持ちはあまり感じなかった。

 

  だからこそ、まだまだうぶで素直な気持ちのある高校時代にアルバイトをしたことは

  俺にとっては貴重な経験だった.....

  

 

       

 

 

  

 

 

 

「おかめん」は俺が

 いつも旬な男の物語(203)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 77」〜

 

  何を隠そう、前期の始め頃には高価な英語教材を購入して会話の練習をしたり、参考

  書で文法や構文の勉強をしたりもしたが、秋が深まる頃にはほとんど手をつけること

  がなくなっていた。

 

  

  夏休みは休暇を利用して、泊まり込みのアルバイトをしてみようと考えていた。

 

  何故そう思っていたのかはわからない。

 

  自分を試して見たいと考えていたのか、しばらく地元から離れた場所で働きたいと思

  っていたのか...。

 

 

  兎に角、アルバイトニュースの夏休み特集で探した。

 

  期間的にも場所的にも最適な仕事が見つかった。

 

  場所は新潟県妙高高原で、大きなペンションでの仕事だった。

 

  早速電話でアポを取り、指定された時間に面接に行った。

 

 

  事務所は小さなビルの中にある一室だった。

 

  所長と向かい合って座り、仕事内容や労働期間と勤務時間・給与などの詳しい話を聞

  き、その場で契約が成立した。

 

  そこは最大で100名ぐらいが泊まれる中規模のペンションだった。

 

  冬はスキー客で賑わい、夏は避暑や研修・合宿などで利用するお客さんが多かった。

 

  家族連れも何組か利用されるということだった。

 

 

  これで俺の希望通り新たな地でのアルバイト先も決まり、「おかめん」は.....

        

 

 

    

 いつも旬な男の物語(202)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 76」〜

 

  アルバイトが軌道に乗り出すと働くことがどんどん楽しくなってきた。

 

  俺は三浪したこともあり、年齢が21歳の大学1年生だった。

 

  現役なら18歳、一浪でも19歳。

 

  その当時でも二浪が少数だがいたので、年齢は20歳。

 

 

  流石に俺の回りに三浪の学生は見当たらなかった。

 

  そんなこともあり、大学では気軽に話ができる仲間がいなかった。

 

  自分から積極的に話しかけていけば仲間はできたんだが、何となくみんながガキっぽ

  く思え、進んで交わろうとしなかった。

 

 

  その点バイト先の「おかめん」は佐兼と俺を除けばみんな俺より年上の人たちばかり

  だった。

 

  大学では授業のクラスに誰も仲間がいなかったのは、自業自得ではあったが辛いもの

  があった。

 

  ということもあり、大学からは次第に足が遠のいていった。

 

  夏休み前までは来年の受験目指して英語の勉強をしていたが、「おかめん」でのバイ

  トをしているとだんだん再受験という意気込みが少しずつ薄れていくのを感じていた。

 

  3年間を受験勉強ばかりに費やしてきた反動なのか、アルバイトという目の前の楽し

  いことに心が奪われ、当初抱いていた再受験への思いは後期に入るとほぼ消失してい

  た.....

  

        

  

     

 いつも旬な男の物語(201)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 75」〜

 

  ほんの2〜3時間でも仮眠を取ると身体のだるさはマシになった。

 

  顔を洗い、白衣を着ると気持ちもシャキッと引き締まった。

 

  仕込みの手伝いをしながら佐兼と俺は少しずつ段取りを覚えていった。

 

  

  朝は11時に暖簾を出して開店した。

 

  日曜日なのでお客さんのほとんどは観光客だった。

 

  たまに常連さんが食べに来ることもあった。

 

 

  3月の下旬からバイトをし始めたので、大学に通い始めた頃には店の仕事にもだいぶん

  慣れてきた。

 

  元々は厨房での仕事がメインだったが、この頃になると俺はホール周りも任されるよ

  うになっていた。

 

  お客さんが殺到すると紺色の法被を着てホール回りの助っ人に入り、洗い物が溜まると

  白衣に着替えて厨房に入った。

 

  

  混む時間帯はだいたい決まっていたが、たまに修学旅行生や団体の観光客がどっと入

  って来ることがあった。

 

  そんな時はホールに入るのか厨房に回るのかは俺の判断に任せてもらえた。

 

  最初の頃は社員さんの指示に従って動いていたのが、いつの間にか俺の判断に委ねら

  れるようになり、俺は任せてもらえたことに喜びを感じていた.....

 

     

 

     

 いつも旬な男の物語(200)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 74」〜

 

  深夜帯は飲み屋関係の客が多く、大学生になる前に夜の観光地・花街・飲み屋街の実

  態を見た!

 

  

  大学の入学式を終え、晴れて大学生という身分になり宙ぶらりんの生活とはおさらば

  できた。

 

  授業が始まると、バイトは土日の二日間だけとなった。

 

  土曜の夜10時から翌朝の5時まで働き、少し仮眠を取ってその日の朝9時から働いた。

 

  「おかめん」の勝手口を出て、2階へ続く外階段を上がった所に小さな小屋があり、そ

  の中に2段ベッドが備え付けられていた。

 

  そこで横になって仮眠を取った。

 

 

  閉店は深夜の3時で、それから店内の掃除を終えると4時頃になった。

 

  その後は決まって軽くビールを飲みながら反省会があり、その日の売り上げや客の入

  りなどを確認し、改善すべき点などを話し合った。

 

  そして、ざっくばらんに冗談を言い合ったり、私生活での話をしたりしていると東の

  空が薄蒼くなり始めるのだった。

 

 

  3時間ほどの仮眠を終えると、厨房では社員さんが既に朝の仕込みを始めていた。

 

  そして、8時半になると内線で電話がかかってきて、佐兼と俺は顔を洗い白衣に着替

  えて厨房に入った。

 

  「おはようございますっ!」と威勢のいい挨拶から俺たちの仕事が始まった.....

     

 

 いつも旬な男の物語(199)〜俺は教師だ!「今、一番綴りたいこと 73」〜

 

  面接を終えた日の夜10時から佐兼とうどん屋「おかめん」で働き始めた。

 

  俺たち二人が「おかめん」での初代バイト生になった。

 

  オープンしてまだ数日だったが、その間は社員さんと店長だけで店を切り盛りしてい

  た。

 

  俺が紹介されたのは全部で6人だった。

 

  40代半ばの調理長、料理屋の板場上がりの27歳の男性・30歳ぐらいの社員夫婦・25

       歳の男性社員・そして若い店長の6人で「おかめん」はスタートしていた。

 

  そこに俺たち二人がバイトとしてやってきたので、合計8人体制で「おかめん」はまた

  新たに動き始めた。

 

 

  佐兼と俺はまず厨房に入った。

  

  洗い物を中心に、食材を取りに外の倉庫に行ったり、ビールケースを片付けたりと厨

  房の中で社員さんに言われたことをこなしていった。

 

  厨房には社員さん一人とバイト二人の3人がいて、ホールは社員さん一人で回してい

  た。

 

  店が混み合ってくると、ホールの手が足りなくなるので俺が助っ人に行くことが多

  かった。

 

 

  店は観光地のど真ん中に位置し、目の前には有名な神社があり、周りは昔ながらのお

  茶屋や高級クラブなどがひしめきあっていた。

 

  昼は観光客でごった返し、夜はおとなの社交場と化していた。

 

  俺たちが働き始めた深夜帯は飲み屋帰りのサラリーマンやアフターでやってくるクラ

  ブのホステスと客が多かった.....